時間の捉え方

新月の今日は
家にこもって意識の整理を。

最近、本か何かで目にした
時間についての概念が
度々マントラのように浮上する感じなのですが
まだ実感が乏しいのも現実です。

時間は未来から過去に流れる。

そう捉えると
今の自分は自ら望んだ今の自分という事に…。
(ややこしいけど)

捉え方のひとつとして
妙にフィット感を覚えました。

自分が未来に望みを描くとすれば
ニュートラルでいるという事は
とても大事だなと納得します。




夏至シェア会

本日のシェア会を終えて感じたことは
会自体がパワーアップしてるなぁと。
今日は特にそんな風に感じました。

友人がこの天候の中(強風大雨)
持参してくれたクォンタムライトも
それぞれが正直な気持ちを素直に放出するのに
一役かってくれたように思います。

私は昨日から引き続きの
自分の正直な気持ちに駄々を捏ねて
夫に対して素直になれてなかったことが露見して、
素直に言うのは恥かしいと思い込んでる自分、
わがままだと判断している自分がいたけど
そんな自分を受け入れて許すこともしていこう。

感情の出が頻繁の今日この頃だけど
小さなことでも自分自身を知ることで
希望や喜びを実感できる時が
うれしいな。


(日付は今日になってしまった)





風穴

わが家にしばしの間
ギブソンのギターがやって来ました。

持ち帰ったその日に
私の中で問題が勃発。
くやしいという思いは
もう少し続くのかもしれません。

それに伴い
現実は自分の思いに比例しているなぁと
実感しているところです。

実感が伴うからこそ
自分はこうしたい、
という決定がなされるのだということも。

今まで自分の本来の望みに対する
実感が薄くなってたところに
風穴が開いた感じでしょうか。



切り替え地点

ここ最近感じていた悔しさは
元をたどっていけば
今いる世界(社会)に対して感じていたものと
同じ性質のものだったのではないかと
思いました。

幼い頃は家族という小さな囲いの中で
学校に通うようになってからは
道徳や義務教育の中で
仕事に就いてからは会社や上下関係の中で

ずっと何かに抵抗していたけれど
その感覚も月日と共に薄れていったんだなぁと。

無力感が日常の全てに
幕を張っていた感じです。

日常の中でやりたい事が続かない、
やる気は最初だけで尻つぼみ…

なるほど気力が出ないのもよく分かるなぁ…
もうずっと前から自分自身で在ることを
諦めていたんだなぁと思いました。

解釈を今の自分で
最大限に引きのばそうとしているのかも知れないけれど
閉じ込めてしまってた悔しさを
ちゃんと引っ張り出して受け止めなければ
気がつかなかった事がいくつもあったと
分かっただけでも希望でした。

頭の中に浮かぶ感覚を
言葉に中々変換出来ないモヤモヤもまた
体験から得た経験でなければ
自分自身がそれをさせないような
プログラムが働いていたのだと
自ら動くたびに少しづつ実感してます。

これは私にとって悔しさを感じる為の
最適な条件だったかも。
悔しさを通り越して
恨みに近い感覚だったような気もします。

大きなことから小さなことまで
記憶に残る出来事が
一本の線で繋がって納得がいきました。

意識の切り替えポイントだったと
言えるように
動いて結果を出せる自分でいこう。






気がつけば

このところ何かにつけて
否定的な感情が噴出。

特に悔しい気持ちって
いつからなんだろ…
感じていた記憶があまりないなと
気がついたのは最近のことでした。

今まで圧縮されてた感情が少しづつ
アタマでっかちになってた今の自分に
ようやく後から着いて来たような感じです。。

少し凝った身体を伸ばしながら
ふと思ったのですが
以前とは捉え方が変わったけど
もしかして自分がやりたかったこと
今やれているんじゃないかなぁ…と。