心を決める

最近、あるイベントの進行役をする機会があり
前から疑問に感じていた問題を
この経験を通して理解する事が出来ました。

3か月前に納得いかないまま仕方なく
進行役を引き受けた私は、心に葛藤を引き起こしていました。
「このイベントは私がやりたくて主催した」と
参加者の前で自分の想いや私が話す内容の補足説明をする主催者に
「それならなぜ自分で進行役をやらないのだろう。
私はやりたくなかったのに・・」と怒りが沸いてきました。
その内、問題は疑問を残したまま消えかかりそうに。

そして今回、主催者は違いますが似たような状況が起こりました。
自分の経験を通して熱く語る主催者を見ながら
あれっ?!これは前回と同じパターンかもしれない。と思った瞬間
疑問だった問題が解けていく感覚があり・・。

そうか!自分がやりたいと思った事は自分でやるのが一番いい!
それを私はやってこなかった。
ただ単純にそれだけです。
そう感じました。

自分で気が付かない内に
依頼心による傲慢さが自分への怒りを
この場合は主催者に向けていたという事がわかりました。
やりたくなかったのではなく、自信がなかったのです。

前回は仕方なく引き受けた進行役でしたが、
今回のは自分が決めたチャレンジでした。

「心を決める」ことで変化が起きる。
 そんな事を感じた日でした。


仕事に対する制限

なかなか決まらないアルバイト。

始めに応募したコンビニも
先日やっと面接を受けたけど
結局採用されませんでした。
作日は最寄の駅ビルに入ってる
おそば屋さんの面接を受けてきました。
結果は28日に。

実は今までアルバイトに落ちた経験は
ほとんどありませんでした。
なのに今回は落ちてもその事にあまり気持ちが動かないのです。
何か気持ち悪さのようなものを感じていたのですが・・。
そしたら前の仕事についていくつか思い出しました。

私はしばらく建築関係の仕事に就いていましたが、
それ以前は工事現場などで働く人たちに対して
差別的な見方をしていました。

現場で仕事をするうちに、
随分傲慢で偏った見方をしていたと気づき
見方は一変しましたが、
自分の仕事に対しては、
他とは違う特殊な仕事という位置づけを何となくしていて
それが現場で働く為の自分のプライドを
支えていたことを思い出しました。

だから現場から一歩外に出ると
否定的になってる自分を感じることが多かったのです。
特に人から見られる電車の中では。
埃やチリで汚れた服に道具の入った大きなカバンや靴。
そんな自分にみすぼらしさを感じながらも
私は他とは違うんだという勘違いが
その仕事を続ける原動力のひとつにもなっていました。
私は仕事に優劣をつけていたのだと
改めて感じました。

特別な何かということに
付加価値を付けていたのです。

今まで仕事を探すにあたって
スッキリしなかった部分が表側に出ました。
ただ食べて行く為の仕事は
苦労が多く価値のない仕事であり
自分はやりたくないと思ってたこと。
だけどそう思う自分にとても罪悪感を感じてるということ。

だからアルバイトに落ちてどこかで安心していたのだと判りました。
仕事を引き寄せない原因は
そういう自分を認めずに、頑張ってるつもりになって
面接に行った結果だと受け止めました。

そういう事を感じていたら、
どんな仕事をしていても自分がどのモチベーションで
いるかという事の方がもっと大事だという
簡単なことがやっと理解出来ました。

長くかかってしまいました。
仕事に対して感じていた自分の中の制限が
解除されたかどうかは実際動いて観察するしかありません。




あぶない

ブログの模様替えをしたと思ったら
すぐに私自身が固まりました。

夫の実家のこと。お墓のこと。バイトのこと。
家のこと。色々と問題が浮上してきて
動けなくなってました。

毎日やる事はたくさんあるし、その上
なんでこんなに色々押し寄せてくるの!
否定的な感情が沸いて出ました。
家の中で自由にならない自分を感じていたら
今あるものを壊したいって思ってる自分がいました。
でもそれはいけないと判断している自分。
それに怒ってる自分。

そこで疑問が沸きました。
何かが・・?!

今の現実を引き寄せたのは自分であるならば
そこで起こる問題は自分の責任。
それを判断無しに観れば、
壊したいという思いの大半は
もうめんどくさいから、放棄したい。
と感じてる自分につながりました。
こっちでした。
そしてそれをいけない事と判断し、
それに怒りを感じていたんだと思うと
やっと身体が反応しました。

あぶないと思った。
自分の中に起こった責任から逃れようとして
それを認めたくないから
思考に切り替わる。
このパターンに気を付けよう。

自分で頑張るって時々不安になるなぁ。
でも仲間のブログでいつもはげまされてる。
ありがたい。感謝。


模様替えしました♪

大木

マイブログの模様替えをしました(^^♪

2月にブログを開設するつもりでしたが
OA機器類が苦手な私は
PCが故障したのを理由に開設準備中のまま放置。
あれから何か取り残した感じがずっとあり
あせる気持ちと開き直りと・・。

改めてブログをスタートしてから
感じていたのは
その時に選んだものは
その時の意識の状態が正直に表れてるなぁという事です。

今振り返ると、その時の私はフワフワとした
吹けば飛ぶような
(ちなみに将棋の駒ではありません)
風船みたいなもので、意識がいつも焦点から
ずれてしまう日々。
いつも迷いの中にいました。

今だって自分の中の問題は次々とやって来て
迷いがなくなったわけではないけれど、
あの時と違う自分・・というより
自分を信じる事が少し出来るようになったのだなぁと
感じています。

そんなわけで今の気持ちの変化と共に
ブログも新しいお部屋に模様替えです。

みなさんよろしくお願いします。


言葉にする

言葉につまることに
恥ずかしさを感じていた

言葉を出す瞬間に怖れを感じ
言葉が出なくなった私は
その時 無能な人間だった

言葉が出なくなるたびに
その思いは強くなる
ただシンプルに思いを伝えることより
何とかうまく伝えたいという気持ちに
とらわれる

伝えられない私は
無能な人間だと感じているから
どうしてうまく伝えられないのかと嘆いて
自らを価値のない人間だと思い込む

自分の本質から出る思いを伝える為の
言葉は大切なもの
でも言葉がすべてではない事も知っている
だから私は進んで「すべてではない」を選んでいた
価値がないと思ってる自分をごまかす為に
都合のいいように

言葉は大切なものだと思いながら
言葉を信じていない自分がいて
何かのせいにして はがゆいなどど言っていた

だけど あの日から変化が始まった

何だかまだよくわからないけれど
私の中にある思いを言葉にするとき

天と地がつながるような
脳みそと魂が一体になるような
上半身と下半身の気がつながるような
私自身が循環しているような感覚を

少しずつ感じている






視点の変化2

昨日、夫との会話の中で大笑いをした話があります。

数年前まで、自分はお客さんを呼び込む力があるかも・・。
などと、とんでもない勘違いをしていました。
ちよっと恥ずかしいお話ですが・・。
なぜならば、街の洋服屋、喫茶店や居酒屋等々、
人の集まる場所に自分が入って行くと、
もしくは夫婦2人で入ると
今までほとんどいなかっった店内に
お客さんが入ってくるのです。
時には私が入った時には誰も居なかった
小さな古着屋さんの店内が5~6分の間に
お客さんでいっぱいになってびっくりする事も。

でもこれって、周りの友人たちも経験してるようで
なんだ、みんなもそうなのか・・。
と思っては見るのですが(ここで気づかないなんてトホホ・・)
でも私の場合は違うような気がする。
なんて思ってました。
笑える~!

そんな事を感じていた数年前から
そんな事さえも感じなくなっていた今までの時を経て
最近再び、同じような状況に何度も会いました。
んんっ・・これは・・。

そしてある時、数年前とはまったく違う感じ方をしている
自分に気づきました。
あれれ・・?!
この状況って、もしかしたら私は人を好きなのではないかしら。
今まで人とかかわるのが苦手だと思ってたけれど
本当は人と関わりたいのではないかしら。
というような思いが自然にフフッと湧いてきて
この時は心がとても穏やかに落ち着いていくのを
感じていました。
今までのあの傲慢な思いって何だったんだろう・・?

という話を夫にしたら「ハハッ!オレもそうだった!ホント笑えるよね」
と言って2人で夜中に大笑いをしました。
このところ、夫の中でも意識の変革が起こっており
時々、違う場所で経験した事であっても、
お互いに同じ事を経験していたのだな・・
と感じる事があります。
今回の話は夫にとっても
同じ時に違う場所で彼自身が経験していた事のひとつでした。

お互いの理解が進む事は
何よりもうれしく豊かな気持ちになるものです。
そして視点を変える為には、私の場合、
本当の意味で自分自身を意識的に生きるという事を
心で決める必要があったのだなぁと
最近実感しています。






視点の変化

実は2年ほど前から
気になってることがありました。

外出すると決まって足の悪い人を見かける事が多く
特に車イスに乗った人をよく見かけるような
気がしていました。

見かける度に、正直イヤな気持ちになりました。
しかもそう思ってる自分を否定してる事に気づいているのに
イヤな気持ちはぬぐえませんでした。
その頃から何故か、今のままの生活を続けて行けば
自分もきっとそうなってしまうような気がして恐かったんです。

自分の目の前の事象はすべて自分の反映である。
とするならば、これだけ足の悪い人に遭遇するなんて
私もこのままだと車イスの人になってしまうのでは・・。
という恐れを感じ、
一方で車イスの人に対してそんな事を思うなんて・・
という罪悪感を感じてました。
そしてますますイヤな気持ちになっていたんです。

近ごろは車イスの人に遭遇する機会も少し減っていましたが、
ずっと気にはなっていたのです。
今日(昨日)の朝、駅のホームで車イスのおじいさんを見かけました。
その時、瞬間に気づいたんです。
それはフッと頭に浮かんできてすぐに消えましたが
「あっ、私は動いていなかったんだ。今まで動こうとしてなかったんだ。」
ただそれだけでしたが、静かに広がって行くようなうれしさを感じました。
そして車イスという自分の足で動けない形を
私のこれまでの反映として見せてくれてたんだと感じました。

その車イスのおじいさんの後ろ姿は
やはり晩年車イスで生活をしてた父の後ろ姿に
少し似ているようで、何だか懐かしさで
胸がキュっと締め付けられました。
「お父さん、歩けなくてもどかしかっただろうなぁ・・。」


電車を待つ間、私はそのおじいさんが車イスから立ち上がって
歩く姿を想像しました。おじいさんは歩いてました。
(想像出来て)よかった。

今日は視点が変化してるという事を感じられたのが
喜びのひとつでした。



















視点を変えて

少し時間がかかったけど仕切り直し。
ということで、昨日はローソン面接行って来ました。

このところのバイト探しはいつもの習慣的なエネルギーパターンに
なっていたのではないかと思い、昨日は視点を変えようと決めました。

いつも買い物や散歩の時に行きがちな方向とは逆に向かって行くと
ありました、ありました。
募集の張り紙もあり、しかも時間が3パターン。
迷わず申し込んでその日の内に履歴書を書き
面接をしてもらいました。
感触は悪くないと思うのですが・・。
採用の場合は土曜か日曜に連絡をくれるそうです。

店長さんが言うには、ローソンは他のコンビニよりも
覚える事が多いそうです。大丈夫かな。
話してて感じたのですが、店長さん体育会系かもしれません・・。
期待せず連絡を待ちます。

今日は朗読ライブのリハーサル。
楽しみです。

助けられている

近ごろ、迷った時に周りから助けられていると感じています。

昨日は、バイトをまだ決められないのは
自分の今の意識をちゃんと感じれてないからだと思うと
頭の中を思考がグルグル・・。
二の足を踏む自分にイライラが募ります。
朝方まで眠れずスッキリしない時間を過ごしてしまいました。

午前中、パソコンのFBページを開いてすぐに目に飛び込んだのが
友人Hさんのブログのタイトル「踏み出す」でした。
この間に引き続き心にヒット。

「動くのは、不安や恐れがなくなってから・・では
いくつになっても、何もはじまらない。」

「ワクワクしたい!と求める気持ちをもち
思い切って踏み出した時に不安や怖れは
”新たなチャレンジ”というポジティブな側面として
とらえることが出来る。」というものでした。

思い切って踏み出す勇気。
そうでした。
そして自分が真剣に何かを望み
そうで在りたいと決定をした時から、
自分はすでに助けられているのではないかと
感じ始めています。

又、偶然ですがローソンに勤める幼なじみから電話をもらい
彼女の体験から得たいくつかのヒントを聞けたこと。
小さな頃の記憶を共有してる身近な視点から
それぞれの環境を観察することで見えた問題など・・。
ありがたい声を聞けました。

最近、感謝をする事が増えました。
そんな時、感謝するという感覚が
今までかなり錆びついていたのだと実感します。






習慣を見直す

昨日はブログを更新せずに寝てしまいました。
一昨日もそうでしたが、夜も早々と目を開けていられないくらい
眠くてしょうがないのです。
ここ1時間程休もうと布団に横になったまま
朝10時過ぎまで寝てしまいました。

なんでこんなに疲れてるのかなと思っていたのですが
そんな時に見た友人Hさんのブログを読んで共感し気持ちがスッキリしました。
「制限から逃れることを考えるより工夫して
力と喜びに変える方法を探るほうが建設的で力が湧いて楽しくなる」というもの。

このごろ自分の意識がを少し変化してるのを感じ始めてはいるものの
家の中での仕事は今までも何らかの制限を感じているはずなのに
あきらめて淡々とこなす毎日でした。

やはり習慣を見直す機会が来たのではないかと感じます。
そう思うと自分の中から色々なイマジネーションが
湧いてくるのに気づきます。