ひとつの経過

自分に欲しいものを与えるという
自分への許可証を
もっとダイレクトに活用したいと思う。
恐る恐るジャブを出しては
まだまだ様子を伺う感じがあって
はがゆかったりする。

ただ望んだものではなかったり
近いけどちょっと違うなぁ、なんて時は
逆に自分の望みがより明確になっていく感じもあって
よりピンポイントに調整されていく感じがいい。
なによりそこに納得出来る自分自身に
ホッとする。

ここ最近は
お金とエネルギーが自分のテーマになっているけど
望みのギターを手に入れる過程で
自分の恐れと向き合う毎に
テーマに沿った否定的な思い込みが外れていくのには
安心感が伴っていて、
そこに対する恐れが大きかったことを教えてくれる。

あー失敗した⤵︎
やっぱり私の選択は上手くいかないと
以前のように引きずる感じは
なくなった訳ではないけど
薄くなったかも。


iphone6 iphone6




朝起きて

日常で起きる何気ないことにも
自分の本意があるという感覚。
今ごろ何言ってるんだよ〜、
と言うようなことなんだけど
あたり前だと思うようなことも
本意に沿ってそれを
自分が決めた、選んだという事実は
どれくらいあったんだろう。

気づかなかった領域が
想像出来ないほど大きくて
それがまた漠然とした不安や恐れを
日々作り続けてきたようにも感じる。

日々をただ進むのも
悪くないのかもしれないけど
やはり意識しながら自分で選びながら
過ごしていくのがいい。

今さらマユミなんだけど
ガンバレ。





買い物

昨日今日と夫の実家で過ごす。

迷った時は
迷いそうな時は
自分自身がストレスを感じない方を
選択しようとシンプルに思えた日。

食品を買い出しに行く状況があり
外に出たら結構な雨模様…。
今がベストな時間枠。

一瞬迷う。

雨が降ってるので
傘をさし歩いて少し離れたスーパーに
食料を買いに行くー。

or

雨が降っているけど
自転車で少し離れたスーパーに
食料を買いに行くー。

最初、雨が降ってるから傘をさして歩きでー。
と傘を持って歩き出したけど、
これは自動反応だなと思って
考え直した。

結構降っているけど土砂降りではない。
買ってくる量が少し多い。
歩いて行った時の帰りの荷物を
考えると重いし気持ちが萎える。
帰り道が長く感じるだろう。

頭が濡れなければ
他はあまり気にならないんだよなぁ…
ということでお義父さんの帽子を借りて
自転車で買い物へ。
雨は降ってても
それだけでもう気持ちが晴々してる。

小さくて些細なことだけど
大事な感覚。







弦の響き

お借りしたギターの響きが
とても心地がよくて…。
借りものなので
扱いに少し緊張感もあるのですが
響きが妙に身体に馴染みます。

調べると1943〜1945年の間に
作られたものらしい。

今日はしばらく鳴らして時間が過ぎました。

気がつくと頭の奥が熱っぽい。

そう言えば最近…
頭が少し疲れ気味だなと思いました。
色々考え過ぎて
少し詰まり気味だったかも知れません。

弦の響きで
頭の細胞緩んだかな?!



時間の捉え方

新月の今日は
家にこもって意識の整理を。

最近、本か何かで目にした
時間についての概念が
度々マントラのように浮上する感じなのですが
まだ実感が乏しいのも現実です。

時間は未来から過去に流れる。

そう捉えると
今の自分は自ら望んだ今の自分という事に…。
(ややこしいけど)

捉え方のひとつとして
妙にフィット感を覚えました。

自分が未来に望みを描くとすれば
ニュートラルでいるという事は
とても大事だなと納得します。




夏至シェア会

本日のシェア会を終えて感じたことは
会自体がパワーアップしてるなぁと。
今日は特にそんな風に感じました。

友人がこの天候の中(強風大雨)
持参してくれたクォンタムライトも
それぞれが正直な気持ちを素直に放出するのに
一役かってくれたように思います。

私は昨日から引き続きの
自分の正直な気持ちに駄々を捏ねて
夫に対して素直になれてなかったことが露見して、
素直に言うのは恥かしいと思い込んでる自分、
わがままだと判断している自分がいたけど
そんな自分を受け入れて許すこともしていこう。

感情の出が頻繁の今日この頃だけど
小さなことでも自分自身を知ることで
希望や喜びを実感できる時が
うれしいな。


(日付は今日になってしまった)





風穴

わが家にしばしの間
ギブソンのギターがやって来ました。

持ち帰ったその日に
私の中で問題が勃発。
くやしいという思いは
もう少し続くのかもしれません。

それに伴い
現実は自分の思いに比例しているなぁと
実感しているところです。

実感が伴うからこそ
自分はこうしたい、
という決定がなされるのだということも。

今まで自分の本来の望みに対する
実感が薄くなってたところに
風穴が開いた感じでしょうか。



切り替え地点

ここ最近感じていた悔しさは
元をたどっていけば
今いる世界(社会)に対して感じていたものと
同じ性質のものだったのではないかと
思いました。

幼い頃は家族という小さな囲いの中で
学校に通うようになってからは
道徳や義務教育の中で
仕事に就いてからは会社や上下関係の中で

ずっと何かに抵抗していたけれど
その感覚も月日と共に薄れていったんだなぁと。

無力感が日常の全てに
幕を張っていた感じです。

日常の中でやりたい事が続かない、
やる気は最初だけで尻つぼみ…

なるほど気力が出ないのもよく分かるなぁ…
もうずっと前から自分自身で在ることを
諦めていたんだなぁと思いました。

解釈を今の自分で
最大限に引きのばそうとしているのかも知れないけれど
閉じ込めてしまってた悔しさを
ちゃんと引っ張り出して受け止めなければ
気がつかなかった事がいくつもあったと
分かっただけでも希望でした。

頭の中に浮かぶ感覚を
言葉に中々変換出来ないモヤモヤもまた
体験から得た経験でなければ
自分自身がそれをさせないような
プログラムが働いていたのだと
自ら動くたびに少しづつ実感してます。

これは私にとって悔しさを感じる為の
最適な条件だったかも。
悔しさを通り越して
恨みに近い感覚だったような気もします。

大きなことから小さなことまで
記憶に残る出来事が
一本の線で繋がって納得がいきました。

意識の切り替えポイントだったと
言えるように
動いて結果を出せる自分でいこう。






気がつけば

このところ何かにつけて
否定的な感情が噴出。

特に悔しい気持ちって
いつからなんだろ…
感じていた記憶があまりないなと
気がついたのは最近のことでした。

今まで圧縮されてた感情が少しづつ
アタマでっかちになってた今の自分に
ようやく後から着いて来たような感じです。。

少し凝った身体を伸ばしながら
ふと思ったのですが
以前とは捉え方が変わったけど
もしかして自分がやりたかったこと
今やれているんじゃないかなぁ…と。






ありがとう

夕方から(日付変わって昨日)
親類の葬儀に参列。

家を出る前から少しずつ
意識が亡くなった親類への思いに向かったので
彼への思いは斎場に着く前に
伝えておいた。

本当にお疲れ様でした。
ありがとう。